Small Photo Diary

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Interlude 絵と写真

・少し前にカメラが故障した。修理に出しているので、代わりに最近、iPhoneのメモアプリを使って絵を描いている。いままで絵を描く機会なんてなかったから、初めて感じることもあり、メモ代わりに感想を(写真をフックにして)書き留める。

・以下は本当に当然のことだけど、すぐ忘れそうなので。

・写真は、カメラの前に対象がなければ基本的に成立しない。つまり「そこで、それを」撮る。これはここにある。けれど、紙であれ電子であれ、何かを描くときには対象から離れて描くことができる。このことにめちゃくちゃ驚いた。(当たり前すぎるからわかってもらえないかもしれない…)あれを、あれのないここで描けてしまうというのが不気味だ。絵を描くというのはなんて野蛮な行為なのか!

・ところで、自分は写真に対する感受性が欠けている気がする。いわゆる「写真の良さ」があまりわからない。

・具体と抽象。写真は、撮れば勝手に具体的なものができあがる。画面に写っているのは具体的な現実、物だ。いくら抽象的な画面を考えても、「勝手に」具体的なものを捉えてくれる。「勝手に」写ってしまう。対して絵画は、「頑張って」具体的にしないと、対象ができあがらない。逆に言えば、「勝手に」抽象的になる。引っぱり込む力のベクトルが逆になっているような感じがした。

   写真:具体→抽象

   絵画:具体←抽象

・道具。写真はカメラという複雑な器具が必要だ。絵は、いまはiPhoneで描いているが、自分のような簡単なものなら鉛筆と紙でいい。圧倒的にミニマル。カメラというのは壁に思い切り投げつけたら壊れるが(自分の場合、物に対すると、どうすれば壊れるのか、ということを考えてしまうようだ)鉛筆と紙は壊れない。多分そのまま使える。拾った石で紙にガリガリ描くこともできるだろう。写真は、カメラがないと作れない。写真を撮ることの融通の効かなさ。

・速度。絵を描くのは簡単なものでも、時間がかかる。例えば散歩の速度にはそぐわない。ここはかなり大きく違う。絵を描くときは、何らかのかたちで「腰を据える」必要がある。写真は歩く速度によく合う。撮るということに関して(その準備がいる場合は別として)「腰を据える」必要はない。もちろん構えてから様々な調整は必要だが、ボタンを押せばそれでいい。慣れたら変わるのだろうか。(いくら素早く描けても、この「腰を据える」感は残るような気がするのだが)

・写真は「一発」だが、絵は「連発」しないといけない。つまり、ふつうは何度かストロークや書き直しなどが必要だ(一筆書きだとしても、その一筆には時間がかかるし、微妙な選択の繰り返しがあることには変わりがない)。「一発で」できない。「一発で」できる写真が、ここでも苛立たしい。それなのに現実の豊かさを損なう写真の貧しさ。(もちろん、だから力を発揮するのだろうけれど)よっぽど絵画のほうが「豊か」だろう。

 ・そういう点では、絵を描くことは文章に近いか。

(続く)