Small Photo Diary

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・4度目のピエール・ボナールプロヴァンス風景》(東京国立近代美術館MOMATコレクション) 。悪天候で、あまり乗り気のしない中。集中するまでいつもより時間がかかった。

・見る距離によって印象がかなり変わる。もちろん、そんなことはボナールの絵に限らないし、絵によって効果は様々だろう。例えば、ボナールのあるギャラリー4には長谷川利行《新宿風景》(c.1937)がある。これは離れるほどに並行する細いストロークが目立ち、風景は細かな引っ掻き傷をあらわにする。あるいは坂本繁二郎《水より上る馬》(1937)は、離れてもそれほど変化がない。

(ところで長谷川利行のこの絵はとても都会的というか、センスがいい。同時代の他の日本人の絵がどれもこれもどうしようもなく野暮ったく見える。)

・ボナールの場合、三、四メートル離れると全体がやや暗くなり、でろっと(ややサイケデリックに)溶けるように絵の質がはっきり変化する。近づくと明るみを増して、でろでろは解除される。こういう変化といえば印象派がすぐによぎるが、印象派の場合はどちらかといえば離れると風景が明確になり、近づくとバラバラな色彩に解体される。けれどボナールの絵は離れても何かが明確になるわけではない。では近づけば何か明確になるかといえば、別にそういうわけでもない…。セザンヌならストロークのまとまりが距離によって変化して「絵が動く」のだが、そういうわけでもない。

・なんというか、絵が絵自身を味わっているのを目撃しているようだ。料理を頼んだら、その料理を食べる人を見せられた、とでもいうような。その「え?」という戸惑い。